職人の独立・引き抜き・元請への直接営業|競業避止と秘密保持はどこまで決められる?
職人の独立に備える場合、在職中の取引先への営業や不当な引き抜きは誠実義務と就業規則で制限できますが、退職後の競業避止は、守るべき利益・対象者・地域・期間・禁止行為の範囲・代償措置を総合して有効性が判断されます。全員一律の「同業禁止」は認められにくく、期間1年以内・担当した取引先への営業に限定・代償措置ありの形が有効とされやすい傾向です。
→ 自社の場合はどうなる? Zoom30分・無料相談で個別に整理できます従業員10人の内装会社。夕方、資材置き場で片付けを終えた職長が、ヘルメットを脱いで言いました。「来年の春で、独立しようと思っています」。見習いから十数年かけて育て、今では元請の現場を任せている男です。寂しいけれど、応援したい気持ちもある。ところが翌週、その元請の担当者から何気なく言われます。「職長さん、独立したら直接やらせてほしいって言ってましたよ」。聞けば、若手2人も一緒に連れていくつもりらしい――。社長の頭に浮かぶのは、「そんなこと、止められるのか」のひと言です。
先に全体像をお伝えすると、独立そのものは止められません。一方で、在職中に会社の取引先へ営業することや、不当な方法で若手を引き抜くことには、就業規則で歯止めをかけられます。退職後まで縛れるかは、決め方しだいです。この記事では、在職中と退職後で何が違うのか、競業避止の約束が有効とされやすい条件と、就業規則・誓約書の規定例、見積単価の秘密保持や退職金減額の限界、そして規則より効く対策までを、順番に整理します。
在職中の職長が、元請に「独立したら直接」と営業するのは止められますか?
止める根拠はあります。労働契約法第3条第4項は、「労働者及び使用者は、労働契約を遵守するとともに、信義に従い誠実に、権利を行使し、及び義務を履行しなければならない」と定めています。雇われている間は、会社の利益を不当に損なわないよう誠実に働く義務がある、という考え方です。経済産業省の資料も、在職中の競業行為が認められないことは当然の前提として、退職後の競業避止を検討しています。
ただし、「独立の準備」と「会社の取引を奪う行為」は分けて考えます。
| 在職中の行動 | 考え方の目安 |
|---|---|
| 開業に向けて道具や車をそろえる、手続きを調べる | 勤務時間外に会社の物や情報を使わない限り、制限は難しい |
| 自社の元請・施主に「独立したら直接やらせてほしい」と持ちかける | 誠実義務に反すると判断されることがある |
| 会社の見積書・単価表・図面を持ち帰る、写真に撮る | 秘密保持の規定や懲戒の対象になり得る |
| 若手に「一緒に辞めよう」と声をかける | 声かけの方法や程度によって判断が分かれる(後の章で解説) |
誠実義務は法律の一般的な考え方なので、それだけでは「何をしたら駄目か」が本人に伝わりません。就業規則の服務規律に、具体的な禁止行為として書いておきます。
規定例|在職中の競業の禁止 従業員は、在職中、会社の許可なく、会社と競合する事業を自ら営み、又は会社の取引先に対し、自己若しくは第三者のために会社と競合する取引を勧誘してはならない。
違反したときにどう扱うかは、懲戒の種類と事由として別に定めておく必要があります。週末に一人親方として仕事を請けている職人の、在職中の副業と顧客の扱いは、建設業の副業・兼業で届出書の項目まで整理しています。
冒頭の場面なら、まず職長と面談し、元請に何を話したのかを本人から聞きます。そのうえで、退職日までは元請との窓口は会社であること、引き継ぎの段取りを一緒に決めます。規則に書いてあれば、社長は感情で責めるのではなく、「うちの規則ではこうなっている」と落ち着いて話を始められます。
退職後の競業避止は、どんな条件なら有効とされますか?
退職した後は、どこで働くか、どんな事業を始めるかは本人の自由(職業選択の自由)が大きく働きます。そのため、退職後の競業避止の約束は、限定的に解釈されるのが実情です。
経済産業省が委託した調査研究では、50以上の判例をもとに、有効性を判断するときのポイントを次の6つに整理しています。資料の傾向と、内装会社に当てはめたときの考え方を並べます(※2026年9月時点で公開されている資料に基づく整理です)。
| 判断のポイント | 資料が示す傾向 | 建設会社に当てはめると |
|---|---|---|
| ①企業側に守るべき利益があるか | 営業秘密に限らず、独自のノウハウや、会社が時間と費用をかけて築いた顧客との関係は認められやすい | 工種別の単価体系、会社として長年取引してきた元請との関係 |
| ②従業員の地位 | 全員一律や、役職だけで対象にする規定は認められにくい。守るべき情報に実際に接していたかで見る | 見積や元請との交渉を任せた職長は対象になり得る。手元の若手は対象にしにくい |
| ③地域の限定 | 地域の限定が無いことだけで無効とはされないが、事業の範囲と釣り合うかが問われる | 自社が営業している府県と、その隣接府県程度に絞る |
| ④期間 | 1年以内は肯定的に捉えられる例が多い。近年は2年でも否定的な判断が見られる | 6か月〜1年 |
| ⑤禁止する行為の範囲 | 同業への転職や開業を一般的に禁じるだけでは合理性が認められないことが多い。在職中に担当した顧客への営業に限る形は肯定的に捉えられている | 「在職中に担当した元請・施主への営業」に絞る |
| ⑥代償措置 | 何も無いと否定されることが多い。高額な賃金などの「みなし代償措置」や、独立支援制度が認められた例もある | 職長手当の上乗せ、独立時の支援、協力会社としての発注 |
資料自体も、判例は個別の事情に左右されるため、どう書けば必ず有効になるとは一概に言えないと注意しています。
建設業ならではの弱点は「腕も人間関係も本人のもの」になりやすいこと
ここが、ホワイトカラーの転職と違うところです。職人の腕は、本人が現場で身につけた技能です。資料で紹介されている裁判例にも、本人が能力と努力で獲得した人脈や交渉術、仕事の手法は、転職先でも多かれ少なかれ使われるもので、その流出を禁じようとすることは正当な目的とはいえない、と判断したものがあります。
元請の担当者との信頼関係も同じです。別の裁判例では、従業員が仕事を通じて築いた取引先との信頼関係は、従業員が個人として獲得したもので営業秘密といえるものではなく、それが受注に大きく影響する以上、会社としても手当を支給するなどして退職を防ぐべきだ、としたうえで、十分な代償措置が無いことなどから競業避止の規定を適用しませんでした。
反対に、成約までに何度も訪問を重ね、会社が長い期間と経費をかけて取引先との関係を築く業態では、退職後の競業避止を課す必要性が認められた例もあります。つまり、「その元請との関係は、会社が築いたものか、本人が築いたものか」を説明できるかどうかが分かれ目です。社長自身も元請の担当者と顔を合わせ、見積や条件交渉を会社として行っている会社ほど、守るべき利益を示しやすくなります。
就業規則と誓約書には、どう書けばいいですか?
まず、無効と判断されやすい書き方から確認します。次のような条文は、ひな形や昔の規則で見かけることがあります。
- 全従業員を対象に「退職後3年間、同業他社への就職及び同業の開業を禁止する」
- 地域の限定が無く、禁止する行為が「競合する一切の業務」と抽象的
- 手当の上乗せなど、代償と呼べるものが何も無い
これでは、6つのポイントのうち地位・期間・範囲・代償のいずれでも不利になります。
就業規則には「原則」と「個別合意が優先する」ことを書く
労働契約法第12条は、「就業規則で定める基準に達しない労働条件を定める労働契約は、その部分については、無効とする」と定めています。就業規則と違う内容の誓約書を交わすと、この条文との関係が問題になり得ます。経済産業省の資料は、就業規則には原則的な規定を置き、あわせて「個別に合意した場合はその合意による」と書いておく方法を示しています。これを建設会社向けに置き換えると、次のような形になります。
規定例|退職後の競業避止(就業規則) 会社が指定する従業員は、退職後6か月間、会社の許可なく、在職中に自ら担当した会社の取引先に対し、会社と競合する工事の受注を目的とした営業を行ってはならない。ただし、会社が従業員と個別に競業避止について合意した場合には、当該合意によるものとする。
職長とは、代償とセットで個別に合意する
誓約書例|職長との個別合意(抜粋) 私は、退職後1年間、貴社の許諾がない限り、在職中に私が担当した貴社の元請及び施主に対し、自ら又は第三者を通じて、貴社と競合する工事の受注又は請負を目的とした営業を行いません。私は、この約束を踏まえ、職長手当とは別に競業避止手当として月額○円の支給を受けていることを確認します。
どちらも、会社の営業エリアや職長の担当範囲、手当の設計に合わせた調整が必要です。ポイントは、禁じるのは「独立」でも「内装業」でもなく、「在職中に担当した取引先への営業」だと、本人が読んで分かることです。
すでに働いている従業員に向けて就業規則へ新しく競業避止を加える場合は、労働条件を不利に変える面があるため、説明と同意の進め方に注意します(不利益変更の進め方)。規則を変えたら、従業員への周知が効力の前提になり、常時10人以上の職場では労働基準監督署への届出も必要です(就業規則の届出方法)。
書き方が整うと、職長に任命する日に「この手当は、ここまでの約束とセットです」と、条件を並べて説明できるようになります。独立を切り出されてから慌てて書面を用意する場面が無くなります。
若手を連れて独立するのは、違法な引き抜きになりますか?
若手本人が会社を辞め、元職長のもとで働くこと自体は、本人の自由です。社長としては悔しくても、若手の退職を止めることはできません。
問題になるのは、誘い方です。単に「一緒にやらないか」と転職を勧める程度を超え、社会通念上相当と認められる範囲を著しく逸脱するような方法で行われた場合には、不法行為として損害賠償の対象となり得ます。たとえば次のような事情が重なると、問題になり得ます。
- 在職中から、組織的・計画的に、多数の従業員へ引き抜きの働きかけをしている
- 「会社はもうすぐ危ない」など、事実でない話で誘っている
- 工期の途中で主力をまとめて辞めさせ、現場が回らなくなるよう段取っている
どこからが違法かは、人数、在職中の地位、誘い方、会社が受けた影響などを踏まえて個別に判断されます。実際に損害賠償を求めるかどうかを考える段階では、弁護士へご相談ください。
就業規則には、不当な勧誘をしないことを書いておきます。
規定例|従業員の勧誘の禁止 従業員は、在職中及び退職後6か月間、会社の従業員に対し、虚偽の説明その他不当な方法により、会社を退職して自己又は第三者のもとで就労するよう勧誘してはならない。
規則と同じくらい大切なのが、若手2人と個別に話すことです。「職長についていきたい」のか、「今の給料や休みに不満がある」のかで、打つ手はまったく変わります。後者なら、職長が辞めなくても、いずれ別の会社へ移っていたかもしれません。処遇の見える化は職人が辞めない会社の就業規則で詳しくお伝えしています。若手の本音を聞けていれば、職長の独立は「会社が崩れる日」ではなく「体制を組み直す日」になります。
見積単価や元請の担当者の情報は、秘密保持で守れますか?
守れる可能性はありますが、「秘密として扱っていたか」が問われます。
不正競争防止法第2条第6項は、営業秘密を「秘密として管理されている生産方法、販売方法その他の事業活動に有用な技術上又は営業上の情報であって、公然と知られていないもの」と定めています。実務では、次の3つの要件に整理されます。
- 秘密管理性:秘密として管理されていること
- 有用性:事業活動に役立つ情報であること
- 非公知性:世間に知られていないこと
工種別の単価表や、元請ごとの見積・受注の履歴は、有用性は十分です。弱くなりがちなのは1つ目です。経済産業省の資料で紹介されている裁判例にも、秘密保持の対象が具体的に決められていなかった事案で、仕入れ先に関する情報は秘密として管理されていなかったとして、秘密保持義務違反を認めなかったものがあります。
現場の実態に置き換えると、次のような状態では「会社の秘密だった」と言いにくくなります。
- 単価表を職人全員のグループLINEに流している
- 見積ファイルが、誰でも開ける共有パソコンに入っている
- 退職者のスマホに、見積書の写真が残ったままになっている
元請の担当者の名前や電話番号は、職長が現場で名刺を交換し、日常的にやり取りしている情報です。これだけを秘密保持で押さえるのは難しいと考えておくほうが現実的です。守る対象は、担当者の連絡先そのものより、「その元請にいくらで出してきたか」という見積と原価の情報です。
秘密保持を効かせるためのチェックリスト
- 秘密にする情報を具体的に書き出している(単価表、原価・利益の資料、取引先ごとの見積履歴、施主の個人情報など)
- 資料に「社外秘」と表示している
- 見られる人を、社長と見積を担当する職長などに限っている
- 私用スマホやLINEへの転送のルールを決めている
- 退職時に、資料の返却とデータの削除を確認している
規定例|秘密保持 従業員は、在職中及び退職後において、会社が秘密として指定した次の情報を、会社の許可なく第三者に開示し、又は自己若しくは第三者のために使用してはならない。 (1)工種別の単価表及び見積の原価・利益に関する資料 (2)取引先ごとの見積及び受注の履歴 (3)施主の個人情報 (4)その他会社が秘密である旨を表示した情報
条文と管理がそろっていても、必ず保護されるとは限りません。それでも、何が秘密かが本人に伝わっていれば、「知らなかった」「みんな持っていた」という言い分は通りにくくなります。退職の挨拶のあとに、見積の数字がよそで使われていないかと気をもむ時間も減ります。
競業したら退職金を減らす・払わない、と決めてもいいですか?
定めることはできますが、効き目には限界があります。
まず、減額や不支給は、退職金規程にその定めがあることが出発点です。規程に書いていないのに、独立したからといって後から減らす根拠はありません。
定めがあっても、退職金には長年の勤務に対する賃金の後払いという性格もあると考えられています。そのため、競業の中身や会社への影響と比べて重すぎる減額・不支給は争いになりやすく、どこまで認められるかは個別に判断されます。経済産業省の資料でも、退職金の減額や不支給が争われる中で、その前提となる競業避止の定めの効力が問題になった事案が複数紹介されています。前提になる競業避止の定めが広すぎれば、減額の根拠もそこから崩れます。
規定例|退職金の減額 退職後、第○条に定める競業避止の合意に違反し、会社に損害を与えた者については、その違反の内容及び程度に応じて、退職金の全部又は一部を支給しないことがある。既に支給した場合には、その返還を求めることがある。
退職金の減額は、独立を止める道具というより、悪質な違反があったときの最後の備えと位置づけておくと、規程の書き方も無理がなくなります。
独立されても困らない会社にするには、何から手を付ければいいですか?
ここまで規定例を並べてきましたが、正直にお伝えすると、競業避止の条文だけで腕のいい職長を引き留めることはできません。いちばん効くのは、条文の外にある次の3つです。
- 処遇:職長の役割に見合う手当と、昇給の道筋を示す。前の章で見たとおり、裁判例でも、取引先との関係が受注を左右するなら会社として手当などで退職を防ぐべきだとされています。手当は、そのまま競業避止の代償措置にもなります。
- 独立支援:「いつか独立したい」という職長の目標を、会社の中で応援する。経済産業省の資料では、独立支援制度の存在と厚遇措置が代償措置として認められた裁判例も紹介されています。
- 協力会社として関係を続ける:独立後も自社の現場を発注する約束をし、その代わりに一定期間は担当していた元請への直接営業を控えてもらう。取引上の取り決めの中身は、交わす前に弁護士に確認してください。独立した職人に一人親方として仕事を出す場合は、契約と実態がずれないよう一人親方と常用従業員の契約実態も確認しておきます。
冒頭の職長が「独立したら直接やらせてほしい」と元請に話したのは、会社に相談しても道が無いと思っていたからかもしれません。独立の話を早く聞ける関係があれば、元請への挨拶も、若手の配置も、一緒に段取りを組めます。
手を付ける順番は、次のとおりです。
- 守りたいものを書き出す:単価表、見積の履歴、会社として築いた元請との取引。
- 対象者を絞る:見積や元請との交渉を任せている職長など。全員一律にしない。
- 秘密の管理を始める:社外秘の表示、閲覧できる人の限定、LINE転送のルール。
- 就業規則と誓約書を整える:在職中の競業・勧誘の禁止、秘密保持、退職後の競業避止(期間・地域・範囲を限定)、代償の手当。
- 職長と話す:役割と手当が変わる区切りで説明し、独立の希望も含めて将来の話をする。
在職中の服務規律から秘密保持、退職後の約束と退職金規程までを一つの流れで整えるには、建設業の就業規則作成のページをご覧ください。中峯社労士事務所では、就業規則の作成・改定を顧問の基本料金内で行っています。自社の職長に誓約書を交わしてもらうべきか、手当や独立支援をどう組み合わせるかは、Zoom30分の無料相談で一緒に整理できます。すでに元職長や引き抜きをめぐる紛争になり、交渉や訴訟への対応が必要な場合は、弁護士へご相談ください。独立の報告を「裏切り」ではなく「次の体制づくりの合図」として受け止められる会社にしていきましょう。最新の制度や金額は、必ず公式サイトでご確認ください。
参考(一次情報)
- 労働契約法(e-Gov法令検索): https://laws.e-gov.go.jp/law/319AC0000000128
- 不正競争防止法(e-Gov法令検索): https://laws.e-gov.go.jp/law/405AC0000000047
- 秘密情報の保護ハンドブック 参考資料5「競業避止義務契約の有効性について」(経済産業省): https://www.meti.go.jp/policy/economy/chizai/chiteki/pdf/handbook/reference5.pdf
- 営業秘密~営業秘密を守り活用する~(経済産業省): https://www.meti.go.jp/policy/economy/chizai/chiteki/trade-secret.html
よくあるご質問
「うちの就業規則は、今のままで大丈夫?」
作成・改定は顧問の基本料金内(他社相場:作成単体で20〜30万円)。Zoom30分・無料で、御社の現状から「直すべき順番」を整理します。
ご相談で最も多いのは、社長が現場に出ている従業員5〜10人の建設会社さまです。
▼ まずは現状をお聞かせください(相談は無料です) ▼
\ 予約ツールの入力は不要。「まず話だけ」「5分だけ電話」でOKです /